函館共愛会History
History函館大火を機に生まれて90年。
皆様のご支援を受け
地域の方々の笑顔に支えられ
共に働く仲間と励ましあい
今日まで歩んできました。
わたしたちは幼児期から老成期まで
人生に寄り添い続ける
存在でありたいと願っています
thank you 90th.
Our History
財団法人函館共愛会の設立
3月21日に発生した函館大火からの復興をめざし、全国からの義援金の一部を資本に「財団法人函館共愛会」が創設されました。市内の慰霊堂は、共愛会が遭難死者の霊を追悼するために1937年に建立した堂で、その後函館市に引き継いでいます。
被災者・児童のため復興に尽力
翌1935年から児童保護事業、職業紹介所開設、被災者のための住宅の建設・貸与、簡易宿泊所開設、授産講習所での授産並びに講習指導などに尽力。1937年には共愛会館(新川町)を開設し、法人事務所と複数の施設機能を移転しました。
戦後の社会福祉に邁進
戦果の中、運営する託児所が大破し復旧工事を行うなどの記録が当時の資料に残っています。終戦後は米国進駐軍が共愛会館に駐屯。1952年には社会福祉法人となり、翌1953年には運営する駒止保育園が優良施設として厚生大臣より表彰されました。
洞爺丸台風と共愛会病院の開設
1954年には昭和天皇と皇后両陛下が行幸啓され、中央保育園を視察。共愛会館でご休憩されました。同年「洞爺丸台風」と称される海難事故が発生、共愛会一体となって救護等を行います。1956年には共愛会病院を開設。託児所が保育園となり、園の認可・開設も続いた時代でした。
老人福祉と児童福祉の体制強化へ
愛泉寮、みなみかやべ荘、知内しおさい園と、老人福祉事業が拡大していきます。1983年には共愛会館が46年の歴史に幕を下ろし、本部が中島町へ移転。1999年には経営不振により共愛会病院を一時休止。(2000年に特定医療法人徳洲会の支援を受け再開)
90周年「ともに笑顔で」いられる社会へ
児童福祉と老人福祉に注力する中で、2019年、共愛会病院を医療法人徳洲会に事業譲渡し経営を分離しました。2024年で法人設立から90年となり、新たな教育・保育計画、法人理念のもと「ともに笑顔で」いられる社会の形成に力を尽くします。
沿革
沿革概要
社会福祉法人函館共愛会は、1934(昭和9)年3月21日夕方に発生した函館大火を契機として設立されました。
函館は、明治以来千戸以上が消失した火災が10回ありましたが、中でも昭和9年の大火は、人口が既に20万人を超え、東京以北最大の都市であった函館の3分の1を一夜にして焼き尽くし、10万人以上が罹災し、2,700人以上の死者・行方不明者を出した未曾有の大火災でした。
大火からの復興を目指し、社会事業を行うため、資本金137万円をもっていち早く財団法人函館共愛会を函館市役所社会課内に設置し、初代理事長に坂本森一函館市長が就任。同年11月16日後藤文夫内務大臣より「財団法人函館共愛会」が設立認可を受けました。
この大火災に際して、両陛下をはじめ各宮家から御下賜金を賜るとともに、全国さらには諸外国から多くのお見舞い、義捐金、救援品が贈られました。その義捐金の一部168万3,071円(現在の金額に換算すると約12億円余り)が北海道函館火災救援会長(北海道廳長官佐上信一)より1935(昭和10)年10月14日に本会に交付されました。
設立当初、600余戸の簡易住宅の建設や託児所の運営など火災後の民生安定上、緊急な事業を実施するとともに、罹災市民の失業救済事業として、道路の舗装や清掃事業を行ったほか、職業紹介や授産事業を開設するなど函館市に協力し救済事業を行ってきました。
1937(昭和12)年6月30日に総合社会福祉館として、新川町に「共愛会館」を建設し、法人事務所をそれまでの函館市役所から移転し、事業推進の本拠としました。
1945(昭和20)年、第二次世界大戦後は、進駐軍に施設を接収された時期もありましたが、1952(昭和27)年5月17日、社会福祉法人として認可を受け新たなスタ-トを切り、時代の要請に応え、医療や高齢者福祉、乳児保育などにも事業を拡大していきました。
1983(昭和58)年1月16日には共愛会館を廃止し、翌17日に法人事務所を中島町へ移転しました。
その後、時代の変遷と共に施設の新設、統廃合を進め、現在では、認定こども園10園と老人福祉施設4施設を運営しています。
年表
年 | 月日 | 出来事 |
---|---|---|
1934(昭和9) | 3月21日 | 函館市の3分の1が消失し、約2700人の死者・行方不明者となる大火災(函館大火)が発生。 |
9月1日 | 大火からの復興を目指し、住宅や託児所、簡易宿泊所の経営、職業紹介、その他の社会事業を行うため、資本金137万円をもって、財団法人函館共愛会を西川町函館市役所社会課内に設置。坂本森一函館市長が初代理事長に就任。 | |
11月16日 | 後藤文夫内務大臣から財団法人函館共愛会の設立が許可される。 | |
1935(昭和10) | 2月4日 | 函館共愛会「北海道社会事業団体連合会」に加入 |
3月6日 | 谷地頭保育園を函館共愛会に譲渡(東京婦人函館復興後援会谷地頭保育園代表徳永恕) | |
4月1日 | 児童保護事業として保育園の経営を開始。 ・新川町託児所 興友社ホ-ム ・谷地頭町託児所 谷地頭保育園 ・高盛町託児所 愛の園 | |
4月24日 | 共愛会職業紹介所を開設。 函館共愛会託児所名称決定 ・新川町託児所興友社ホ-ム→函館共愛会託児所第一保育園 ・谷地頭町託児所谷地頭保育園→函館共愛会託児所第二保育園 ・高盛町託児所愛の園→函館共愛会託児所第三保育園 | |
7月24日 | 被災者のための住宅の建設、貸与を始める。高盛町住宅65棟125戸、以降、砂山町、人見町、宇賀浦町、追分町などで住宅の建設・貸与を行う。 | |
10月14日 | 函館大火への全国からの義援金345万4,557円(現在の金額で約25億円余り)の一部、168万3,071円(現在の金額で約12億円余り)が北海道函館火災救援会長佐上信一北海道廳長官から財団法人函館共愛会に交付される。 | |
12月1日 | 函館共愛会託児所第四保育園(定員100名)を駒止町に開設(一時称名寺本堂地下を借りて分園とする) | |
12月13日 | 保育園の名称を改称 ・函館共愛会託児所第一保育園→函館共愛会第一託児所 ・函館共愛会託児所第二保育園→函館共愛会第二託児所 ・函館共愛会託児所第三保育園→函館共愛会第三託児所 ・函館共愛会託児所第四保育園→函館共愛会第四託児所 | |
1936(昭和11) | 1月4日 | 函館市高砂町職業紹介所と函館市西部職業紹介所を合併し、共愛会職業紹介所として開所(高盛町) |
1月15日 | 中島町婦人相談所に授産講習所を附設し、授産並びに講習指導を行う。 | |
6月5日 | 第一・第二・第四託児所に電話設置する | |
1937(昭和12) | 4月14日 | 大火記念慰霊堂建設費用決定(6万5,630円) |
6月15日 | 函館共愛会紋章制定 | |
6月30日 | 共愛会館開設(新川町)法人事務所移転 | |
7月1日 | 職業紹介所、婦人相談所、付属授産講習所を共愛会館内に移転 | |
12月1日 | 簡易宿泊所共愛会開設(中島町) | |
12月25日 | 第五託児所(定員100名)開設(亀田町) | |
1938(昭和13) | 7月19日 | 函館市長 齋藤與一郎 第2代理事長に就任 |
1942(昭和17)年 | 5月27日 | 齋藤與一郎理事長辞任 |
6月1日 | 函館市長 登坂良作 第3代理事長に就任 | |
1945(昭和20) | 7月14日 | 第四託児所が爆撃に依る爆風と機銃弾十発直接命中し大破。現在建築土木技術者数名にて鋭意復旧工事中。概算一萬五千円を要する。(戦災社会事業施設調査表による) |
10月29日 | 「職員嘱託に関する件伺」・・米国進駐軍・共愛会館に駐屯以来、進駐軍に対して日米友好関係の立場より今般進駐軍に大上眞宏を常備することに決定 | |
1946(昭和21) | 8月17日 | 函館市長 坂本森一 第4代理事長に就任 (※昭和21年8月、戦後初の統一地方選挙があり、8月17日坂本が民選初の函館市長に就任し、函館共愛会第四代理事長に就任) |
1947(昭和22) | 6月18日 | 提出された【調書】によると事業は次の通り。 「一,住宅施設(総戸数577戸)二,授産施設(三か所)、三,託児施設(二か所:第四・第五)、四,食堂施設、五,引揚者収容施設・共愛荘(昭和21年12月1日より開所」 |
9月18日 | 初代・第四代函館共愛会坂本森一理事長死亡(65歳) | |
11月5日 | 函館市長 宗藤大陸 第5代理事長に就任 | |
12月12日 | 託児所の名称を保育園に改称 ・中央保育園 (旧 函館共愛会第一託児所) ・谷地頭保育園(旧 函館共愛会第二託児所) ・高盛保育園 (旧 函館共愛会第三託児所) ・駒止保育園 (旧 函館共愛会第四託児所) ・亀田保育園 (旧 函館共愛会第五託児所) | |
1948(昭和23) | 12月1日 | 駒止保育園(定員110人)児童福祉施設認可 |
1949(昭和24) | 2月1日 | 亀田保育園(定員110名)児童福祉施設認可 |
1950(昭和25) | 7月1日 | 高盛保育園(定員110名)児童福祉施設認可 |
9月1日 | 谷地頭保育園(定員110名)児童福祉施設認可 | |
1952(昭和27) | 2月20日 | 社会福祉法人組織変更許可申請書厚生省に提出 |
4月1日 | 中央保育園(定員110名)児童福祉施設認可 | |
5月1日 | 千才保育園開設(千歳町)児童福祉施設認可 | |
5月17日 | 厚生大臣より社会福祉法人に組織変更認可 「社会福祉法人に組織変更の際、社会福祉事業法第5条による公私分離の原則に抵触するため、会長制を設け、市長を推戴することとし、理事長は理事の互選により選出することに定款を規定した。」 | |
12月15日 | 岡本康太郎 第6代理事長に就任 | |
1953(昭和28) | 8月5日 | 駒止保育園優良施設として厚生大臣より表彰を受ける。 |
1954(昭和29) | 8月8日 | 昭和天皇・皇后両陛下行幸啓の光栄に浴す。中央保育園を視察し、共愛会館においてご昼食の為休憩される。 |
9月26日 | 江差からのレクリエーションの帰りに、後に「洞爺丸台風」と称される海難事故に遭遇する。函館共愛会が一体となって救護等を行う。 | |
12月27日 | 登坂良作 第7代理事長に就任 | |
1956(昭和31) | 7月28日 | 共愛荘の一部を転用し、共愛会病院(18床)を開設 |
1957(昭和32) | 7月17日 | 医院の規模を拡大、共愛会病院(69床)を開設 |
1964(昭和39) | 8月28日 | 昼間乳児施設 ゆりかご園開設(中島町) |
1967(昭和42) | 4月28日 | 函館共愛会 愛泉寮(定員100名)老人福祉法に基づく特別養護老人ホームとして開設 |
1968(昭和43) | 12月5日 | 大上眞宏 第8代理事長に就任 |
1969(昭和44) | 4月1日 | ゆりかご乳児保育園(定員30人)認可 |
1970(昭和45) | 5月1日 | 函館共愛会 愛泉寮定員を150人に変更 |
1975(昭和50) | 10月7日 | 佐々木次郎 第9代理事長に就任 |
1979(昭和54) | 4月1日 | 函館共愛会 愛泉寮定員を160人に変更 |
1981(昭和56) | 4月1日 | 駒場乳児保育園(定員60人)駒場町に開設 |
1983(昭和58) | 1月16日 | 共愛会館廃止(46年の歴史に幕) |
1月17日 | 法人事務所を中島町7番16号に移転 | |
1985(昭和60) | 3月29日 | 社会福祉法人 函館恵仁会解散により同会経営の「つくし保育園」を継承 |
1986(昭和61) | 4月1日 | 特別養護老人ホーム「みなみかやべ荘」(定員50人)を開設(当時:茅部郡南茅部町川汲) |
1991(平成3) | 10月5日 | 佐藤信治 第10代理事長に就任 |
1993(平成5) | 4月1日 | 特別養護老人ホーム知内しおさい園(定員30人)、デイサービスセンター知内しおさい園(定員20人)、短期入所(定員7人)を開設(上磯郡知内町重内町) |
1994(平成6) | 2月1日 | デイサービスセンターみなみかやべ荘(定員30人)を開設 |
10月1日 | 函館市デイサービスセンター入舟の運営を受託 | |
11月16日 | 創立60周年記念事業として、モニュメント「この子らに、未来を託して」を中央保育園敷地内に建立。ブロンズ若鳩の像 彫刻家 倉光清志作 | |
12月20日 | 大上博司 第11代理事長に就任 | |
1999(平成11) | 2月10日 | 経営不振により共愛会病院を一時休止 |
7月1日 | 知内しおさい園ケアハウス(定員30人)を開設、特別養護老人ホームしおさい園短期入所の定員を37人に変更 | |
2000(平成12) | 4月1日 | 特別養護老人ホーム みなべかやべ荘に空床利用型短期入所生活介護(定員2人)開設 |
7月1日 | 特定医療法人徳洲会の支援を受け、共愛会病院の診療を再開 | |
2001(平成13) | 1月1日 | 特別養護老人ホーム 知内しおさい園の短期入所定員37人のうち20人を特別養護老人ホームに転換し、ホームの定員を50人とする。 |
11月1日 | 共愛会病院に通所介護事業所(定員35人)を開設 | |
2003(平成15) | 4月28日 | 福島安義 第12代理事長に就任 |
8月29日 | 共愛会病院改築 | |
11月19日 | 函館市デイサービスセンター入舟に居宅介護事業所(定員35人)を開設 | |
2004(平成16) | 4月1日 | 特別養護老人ホーム 知内しおさい園定員50人から57人、短期入所定員17人から10人、デイサービスセンター20人から25人に変更 |
2006(平成18) | 4月1日 | 愛泉寮ユニット型介護老人福祉施設に全面改築(定員16ユニット160人、ショ-トステイユニット6人) |
2007(平成19) | 7月1日 | 共愛会病院に児童福祉法に基づく指定を受け、助産施設を開設 |
2009(平成21) | 4月1日 | 市立鍛治保育園と市立さくら保育園の民営化による統合園として、鍛治さくら保育園(定員90人)を開設(鍛治1丁目) |
7月1日 | 共愛会病院に訪問看護ステーション開設 | |
2010(平成22) | 4月1日 | 函館市養護老人ホーム 清和莊の民営化により、養護老人ホームまろにえ(定員120人)を開設(西旭岡町3丁目) 駒場乳児保育園を「駒場保育園」に変更 |
2011(平成23) | 4月1日 | デイサービスセンター みなみかやべ荘定員を25人に変更 |
2012(平成24) | 4月1日 | 市立赤川保育園の民営化により、赤川保育園(定員90人)を開設(赤川町) |
2013(平成25) | 3月31日 | 共愛会病院に定期巡回・随時対応型訪問介護看護事業を開設 |
4月1日 | ゆりかご乳児保育園を「ゆりかご保育園」に変更 | |
2014(平成26) | 4月1日 | 函館共愛会保育中期計画策定(2014~2018) |
2015(平成27) | 6月30日 | 近江茂樹 第13代理事長に就任 |
2016(平成28) | 4月1日 | 保育園(全11園)が幼保連携型認定こども園に移行 市立尾札部保育園と市立臼尻保育園の民営化による統合園として「南かやべ認定こども園(定員100人)」を開設(川汲町) |
6月30日 | デイサービスセンター 入舟居宅介護支援事業の廃止 | |
2017(平成29) | 3月31日 | デイサービスセンター 入舟廃止 |
4月1日 | 養護老人ホーム まろにえ外部サ-ビス利用型特定施設から一般型特定施設に変更 | |
2019(平成31) | 3月1日 | 教育・保育に関する中期計画策定(2019~2023) |
4月1日 | デイサービスセンター みなみかやべ荘を地域密着型定員18人に変更 | |
2019(令和元年) | 6月1日 | 共愛会病院を医療法人徳洲会に事業譲渡 |
2020(令和2) | 4月1日 | 高盛認定こども園と千才認定こども園を統合し「はまなす認定こども園(定員100人)」を開設(千歳町) |
11月4日 | 老人福祉事業中期計画策定(2021~2025) | |
2022(令和4) | 4月1日 | 駒止認定ごとも園と谷地頭認定こども園を統合し「はごだて元町認定こども園(定員90人)」を開設(弥生町) |
2023(令和5) | 2月1日 | 知内しおさい園居宅介護支援事業所を休止 |
6月27日 | 種田貴司 第14代理事長に就任 | |
2024(令和6) | 2月27日 | 教育・保育に関する中期計画(第3期)策定(2024~2028) |